2011/12/06

感謝と希望の光



このプロジェクトが発足したのが点灯式の約4週間前、
イルミネーションの足場作りに着手したのが2週間前、
「萱浜イルミネーション/天国へのメッセージ」prj.は12/4の点灯を目指し、
最後の一週間は連日遅くまで、参加メンバーが交代で作業を続けました。

冷たい風が吹き荒む中での電飾の取り付けはちょっと辛かったけど、
みんなで和気あいあいと楽しかったです。


先日の日曜日は最後の仕上げ。
午前中は人が飛ばされそうな強風により、何度か作業を中断。
しかし、午後からは風も収まり、急ピッチで進みました。


そして日が暮れた17時過ぎ、今回のプロジェクトの発起人で、
皆が敬愛するリーダーでもある上野敬幸君が挨拶に立ちました。

「自分は今まで父親にも母親にも『ありがとう』なんて言ったことがありませんでした。
そのことをとても悔やんでます。でも、今日皆さんのお陰で、天国にいる両親にやっと
『ありがとう』と言うことができました。」

途中、言葉を詰まらせながらも素晴らしい挨拶でした。


『みんながわらいあえるところにします』

これは津波で家族、友人らを失った人達が故郷の再生を誓うメッセージです。


そしていよいよ点灯。

みんなで作ったイルミネーションと光のメッセージ。
都会で見るようなお洒落なイルミネーションではないかもしれない..
文字もプロの電飾屋さんが作ればもっと上手くできたことでしょう。

だけど、いろいろなメッセージが含まれた、世界でたったひとつのイルミネーション。
作ったみんなの気持ちが籠ってます。みんなの誇りです。
自分もこのプロジェクトに参加できたことを光栄に思います。


LEDを送って下さった全国の皆様、
製作に関わったメンバーのみんな、
差入れや炊き出しをしてくれた心優しい人達、

ありがとう


萱浜から南相馬市へ、福島県へ、日本へ、世界へ..

ありがとう


2011/11/23

天国へのメッセージ

今月の初め、萱浜を訪れ、萱浜青年団のメンバーに会った時の話..

「今度はここで光のイルミネーションをやろうと思うんです」


津波で壊滅的被害を被った萱浜地区は、ほぼ全ての建物が基礎部分しか残っていません。
生き残った人達は、自宅や近所のお宅の玄関先にお線香やお花をお供えに日々通っています。

その人達の気持ちを込めて、天国のおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、
親戚や友人達、そして最愛の子供たちに向け、
「必ずこの地を再生させます」「見守っていて下さい」
という意味を込めた光のメッセージを掲げます。


早速、即席のプロジェクトチームが作られ、デザインや役割分担を決めました。

前回の花火との大きな違いは、
「今回は寄付等を募らずになるべく自分達の力でやりたいんです」
と言う明確な意思を持っていること。

現在、メンバー8人の内、2人を除き職に就きました。
なるべく借りる。購入するモノは自分たちで買う。
資材の運搬や組み立て、加工は自分たちでやる。

幸いなことにメンバーの中には工事資材に詳しい者や電気工事関係者がいます。
すでに土台は組み上がりつつ有ります。
東北電力と交渉し、期間限定で電気を別けてもらえることになりました。

後は電飾です。
これはかなりの量が必要になり、相応のお金が掛かります。
また電気料金の問題も有り、LEDにしなくてはなりません。

そこでご不要になったLED電飾をお持ちの方、
頂けないでしょうか? またはお借りできないでしょうか?

☆ 色はホワイトかブルーのみ(クリスマスっぽい雰囲気にはしたくないため)
※ 現在、ブルーが多めに集まっていますので、ホワイトですと幸いです
※ 点滅の有無は問いません。
11/27までに、遅くとも12/3までには揃えたいと思っています。


もし、ご支援頂ける方は 下のコメント欄か elan.elise@gmail.com までご連絡下さい。

都内近郊、または南相馬市近郊でしたら私か仲間が取りに伺います。
お送り頂ける場合は、下記の住所まで送って頂けると幸いです。

福島県南相馬市原町区本町1-31 四ツ葉ビル1F
NPO法人フロンティア南相馬
0244-22-3500

こちらは地元の若者達が震災後に立ち上げたNPO団体で、私自身もお世話になっています。
屋外で遊ぶことの出来ない南相馬の子供達を遠足に連れて行く等の活動をしています。
http://www.frontier-minamisoma.org/

※今回の企画では彼らの事務所を備品等の保管に使わせてもらうだけですので、
上記に問合せなどはなさらないようにお願いします。

2011/09/27

鎮魂の138発/希望と再生の物語

2011年8月27日 南相馬市原町区萱浜にて(撮影:藤田修弘)

一ヶ月前の今日、
南相馬市原町区萱浜/雫地区に於いて、鎮魂と慰霊の花火を打ち上げました。

8月27日18時46分 今回の花火の発起人である上野敬幸氏の挨拶の後、
同地区で津波の犠牲になられた方のお名前を読み上げ、そして黙祷。

19時ちょうど、最初の花火が上がりました。
よくある花火大会のような歓声やざわめきは一切ありません。

その場に居た誰もが泣いていたと思います。
自分も最初の一発目から涙が止まりませんでした。
(お名前の読み上げの時から泣いていた方もいらっしゃいました)

花火の数は犠牲になられた方の数と同数の138発。
花火に向かって手を合わせている方が何人もおられました。

半ばと最後にスターマイン(連発花火)が2回。
一つは今回の花火を請け負って下さった糸井加工さん(福島県須賀川市)から寄贈されたものです。
7月末、糸井社長を初めて萱浜にお連れした時に、申し入れて下さいました。
私たちの想いと萱浜の惨状を見て、寄贈を即断して下さったものと思います。

もうひとつ、
当初は予定に無かったのですが、皆様から募ったお金が募集金額を多少超過してしまったため、
追加で上げることにしました。
最初はどれくらいの金額が集まるか不安だったのですが、お陰様で十分な額のお金が集まりました。
資金の提供をして下さった方、並びに資金集めにご協力下さった方々に改めてお礼を申し上げます。


138発の花火が鎮魂と慰霊とすると、こちらは希望と再生のために花火です。


花火の打ち上げ時間は30分にも満たない短いものでした。
しかし、生まれてからこんなにも感動した花火はありません。


最後に..
地元の方が掛けて下さった印象的な言葉を紹介したいと思います。

「3/11以来、初めて泣きました。ありがとうございました。」

2011/09/19

失われた地に誕生した2つの命

9/2 南萱浜青年団の団員さんの元に女の子の赤ちゃんが誕生しました。
名前は芽生(めい)ちゃん

※ 名前の由来やお顔の写真はみりょんちゃんのBlog


さらに9/16、当Blogなどでも紹介しているリーダーの上野家も赤ちゃんを授かりました。
こちらも女の子。体重は2408g。
名前は倖吏生(さりー)ちゃん。
お姉ちゃんとお兄ちゃんの名前を1文字ずつもらっています。


どちらの赤ちゃんも産まれた翌日に逢いに行ったのですが、よく泣いて元気です(^-^)

ふたりが健やかに、正義感の強い子に育ってくれることを切に願います。
そして、彼女達が大きくなった時、お父さん達がどんなに勇敢で、凄いことを成し遂げてきたのかを話してあげたいと思います。


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(何度も書いてますが、)
南相馬市原町区最南の萱浜・雫地区では原発事故の影響で自衛隊による捜索が2ヶ月近くも遅れ、多くの救えられたであろう命を救えず、見つかるべき御遺体も見つけらずにいました。

家族を失い、水も電気もガソリンもない3月の凍えるような寒さ..
そんな絶望的な状況の中で地元の有志(勇士)たちは人命救助、遺体捜索を行い、
その後も瓦礫撤去や側溝の泥出し、真夏の炎天下の下で草刈りなどを行ってきました。


上野家でも311の津波でふたりのお子さんとご両親を亡くされています。
(お父さんと3歳の息子さんは未だに見つかっていません)

以前、残った家の片付けをしている時に見つけたばかりの子供たちの写真を見せてもらいました。
「ねぇー見て見て ウチの子、世界一可愛いでしょ」
写真の中の8歳になるお姉ちゃんは、震災前に産まれてくる赤ちゃんが女の子だと知って、
妹が出来ることを誰よりも楽しみにしていたそうです。


一昨日に聞いた彼の言葉が、今でも胸に突き刺さってます。
「新しい子が産まれて、みんなも祝福してくれて、すごく嬉しいんだけどさ..
一番喜んでくれるべき人(両親と子供達)がいなくて.. 特に一番楽しみにしてたおねえちゃんがいなくて凄く悲しいんだよね..」

2011/08/27

鎮魂の花火に向けて

前POSTで募集した「鎮魂の花火」に対し、お陰様で予想以上のご協力を賜りました。
今回は私の他に3人がご協力を募りましたが、私のところだけでも35人/50口以上の資金が集まりました。最終的な数字は集計中のため、追ってご報告させて頂きます。

ご支援/ご協力下さった皆様、誠にありがとうございました。


いよいよ本日19時、138発の花火が上がります。
甚大な被害を受け、あらゆる物を失った地の夜空を彩ってくれることでしょう。
今回の花火の主旨にご賛同、ご支援頂いた方々には同時刻、共に祈って頂ければ幸いです。


また、観覧にお越しの皆様にご案内とお願いが有ります。

犠牲になられた方のお名前の読み上げは萱浜地区は上野邸(北才ノ上)、雫地区は雫公会堂にて18時半より行います。
ご遺族や地元の方は同時刻までに、それぞれの場所にお集まりください。
また花火の打上げ終了後はささやかなお食事とお飲物をご用意しておりますので、再度同場所にお集り頂きたく存じます。

花火を打上げる時間も含め、17時半頃より、地元の方以外の車は通行禁止とさせて頂きます。
同地区にご自宅やお知り合いのお宅が有るなど、車を停める場所がある方はそちらへお願いします。
車を止める場所が無い方は、「JAそうま貯蔵施設」に車を止め、徒歩で会場までお越し下さい。
くれぐれも路上駐車はお止め下さい。


萱浜地区は現在も電気が通っていなく、日が暮れると闇に包まれます。
歩行など、十分にお気をつけ下さい。


今回の花火は鎮魂と慰霊で有り、通常の花火大会のようなお祭りやイベントでは有りません。
打上げ前には犠牲になられた方のお名前を読み上げ、黙祷を捧げます。
打上げ中はもちろん、その前後も騒いだりされませぬようお願い申し上げます。


我々スタッフは「黒子」に徹します。
地元にお住まいの皆様、並びに、恩師や知人が津波等で亡くなった方など、
地元に縁のある方々が静かに観覧できるために最大限の配慮をする所存です。

以上、よろしくお願いいたします。

2011/08/08

鎮魂の花火

南相馬市原町区萱浜、311の津波で壊滅した地域。
そこには生まれ育った故郷を再生させるため、昼夜働き続ける男達がいます。

彼らのリーダー、上野敬幸38歳。
彼の御両親と小さなお子さん2人も津波の犠牲になりました。
上のお嬢さんは遺体で見つけたものの、3歳になる息子さんは未だに見つからず..

震災の翌日、東京電力福島第一原発の事故で、南相馬市民の多くは強制的に避難させられました。
彼は萱浜にひとり残り、娘さんの遺体に寄り添いつつ、息子さんと両親を探しました。

それは現在も続いています。
朝4時に起き、晴れた日は自宅のあった庭に鯉のぼりを上げ、息子さんの帰りを待っています。

最初はひとりで、日が経つに連れ、ひとりひとり地元に帰ってきた仲間達と..
彼らの中には家族全員を失った者も居ます。

やがて、他の地域からも噂を聞きつけて集ってきた人々も合流し、トータスという小さな組織が生まれました。
彼らは自宅周辺の捜索以外にも、瓦礫撤去や側溝の清掃など生まれ故郷の再生のために昼夜活動しています。


先日、彼らの宴会に参加させてもらう機会がありました。
この時、上野さんからお願いされたことがあります。

「折り入ってお願いがあります。萱浜、(隣の)雫の犠牲者を合わせると138人、
お盆に138発の花火を打ち上げて、地元のみんなに見せてやりたいんです..。子供達も花火大好きだったしなぁ」


彼には前々から「困ってる事は無いか?必要なモノがあったらなんでも言ってください」と何度も言いました。
彼の答は決まって「子供を失った今となっては欲しいものなんか何もありませんよ」でした。

その彼が初めて自ら要望を言ってくれた..。
彼の希望はなんとしても実現しなければならない。
自分の全存在を懸けても花火を打上げ、成功させる!
彼とその場に居た仲間達、そして自分自身に誓いました。


翌々日の月曜から早速動きました。
南相馬市役所、南相馬警察署、相双地方振興局を回り、花火の打上げに必要な情報を集め、
東京に帰ってからは、何度か徹夜して打上げ許可の申請に必要な書類を作成しました。
花火屋さんを見つけ出し企画の説明と交渉。
他の仲間達もそれぞれ準備に奔走しています。
そして先日、皆の努力の甲斐もあり、花火打上げに伴う全ての許可が下りました。

あとは花火を打上げるための資金だけ..
賛同して頂ける方に協力を賜りたいと思います。
亡くなった方々の慰霊と鎮魂のため、貴方の力を貸して下さい。

今回の花火は萱浜地区と南相馬市の復興の歴史にとって、小さな1ページに過ぎないかもしれません。
だけど、この小さな歴史を皆の力で作っていきませんか?


花火一発の値段が5000円、一口5000円で募集し、138口集まった時点で終了します。
お1人様何口でも結構ですが、できるだけ多くの人に参加してもらいたく思います。
必要な資金が集まった際には、ご協力頂いた方々のリストを作り、萱浜青年団に渡します。
彼らに「こんなにたくさんの人が応援してるよ」ってことを知らせたいのです。

ご協力頂ける方は下記までメールをください。(twitterのフォロワーさんはDMでも結構です。)
elan.elise@gmail.com


311以降、時が止まった地区と、国や行政から見捨てられたも同然の彼らに力と勇気と愛をください。