2011/09/27

鎮魂の138発/希望と再生の物語

2011年8月27日 南相馬市原町区萱浜にて(撮影:藤田修弘)

一ヶ月前の今日、
南相馬市原町区萱浜/雫地区に於いて、鎮魂と慰霊の花火を打ち上げました。

8月27日18時46分 今回の花火の発起人である上野敬幸氏の挨拶の後、
同地区で津波の犠牲になられた方のお名前を読み上げ、そして黙祷。

19時ちょうど、最初の花火が上がりました。
よくある花火大会のような歓声やざわめきは一切ありません。

その場に居た誰もが泣いていたと思います。
自分も最初の一発目から涙が止まりませんでした。
(お名前の読み上げの時から泣いていた方もいらっしゃいました)

花火の数は犠牲になられた方の数と同数の138発。
花火に向かって手を合わせている方が何人もおられました。

半ばと最後にスターマイン(連発花火)が2回。
一つは今回の花火を請け負って下さった糸井加工さん(福島県須賀川市)から寄贈されたものです。
7月末、糸井社長を初めて萱浜にお連れした時に、申し入れて下さいました。
私たちの想いと萱浜の惨状を見て、寄贈を即断して下さったものと思います。

もうひとつ、
当初は予定に無かったのですが、皆様から募ったお金が募集金額を多少超過してしまったため、
追加で上げることにしました。
最初はどれくらいの金額が集まるか不安だったのですが、お陰様で十分な額のお金が集まりました。
資金の提供をして下さった方、並びに資金集めにご協力下さった方々に改めてお礼を申し上げます。


138発の花火が鎮魂と慰霊とすると、こちらは希望と再生のために花火です。


花火の打ち上げ時間は30分にも満たない短いものでした。
しかし、生まれてからこんなにも感動した花火はありません。


最後に..
地元の方が掛けて下さった印象的な言葉を紹介したいと思います。

「3/11以来、初めて泣きました。ありがとうございました。」

2011/09/19

失われた地に誕生した2つの命

9/2 南萱浜青年団の団員さんの元に女の子の赤ちゃんが誕生しました。
名前は芽生(めい)ちゃん

※ 名前の由来やお顔の写真はみりょんちゃんのBlog


さらに9/16、当Blogなどでも紹介しているリーダーの上野家も赤ちゃんを授かりました。
こちらも女の子。体重は2408g。
名前は倖吏生(さりー)ちゃん。
お姉ちゃんとお兄ちゃんの名前を1文字ずつもらっています。


どちらの赤ちゃんも産まれた翌日に逢いに行ったのですが、よく泣いて元気です(^-^)

ふたりが健やかに、正義感の強い子に育ってくれることを切に願います。
そして、彼女達が大きくなった時、お父さん達がどんなに勇敢で、凄いことを成し遂げてきたのかを話してあげたいと思います。


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(何度も書いてますが、)
南相馬市原町区最南の萱浜・雫地区では原発事故の影響で自衛隊による捜索が2ヶ月近くも遅れ、多くの救えられたであろう命を救えず、見つかるべき御遺体も見つけらずにいました。

家族を失い、水も電気もガソリンもない3月の凍えるような寒さ..
そんな絶望的な状況の中で地元の有志(勇士)たちは人命救助、遺体捜索を行い、
その後も瓦礫撤去や側溝の泥出し、真夏の炎天下の下で草刈りなどを行ってきました。


上野家でも311の津波でふたりのお子さんとご両親を亡くされています。
(お父さんと3歳の息子さんは未だに見つかっていません)

以前、残った家の片付けをしている時に見つけたばかりの子供たちの写真を見せてもらいました。
「ねぇー見て見て ウチの子、世界一可愛いでしょ」
写真の中の8歳になるお姉ちゃんは、震災前に産まれてくる赤ちゃんが女の子だと知って、
妹が出来ることを誰よりも楽しみにしていたそうです。


一昨日に聞いた彼の言葉が、今でも胸に突き刺さってます。
「新しい子が産まれて、みんなも祝福してくれて、すごく嬉しいんだけどさ..
一番喜んでくれるべき人(両親と子供達)がいなくて.. 特に一番楽しみにしてたおねえちゃんがいなくて凄く悲しいんだよね..」