2012/03/31

あれから1年

昨年の今日、茨城の友人を見舞い、いわきに物資を1/3ほど置いてから南相馬へ向った。

常磐道も国道6号線も通行止めだったので、国道399号線を走る。
R399は険しい山道で、ところどころガードレールが崩れ落ち、
崖崩れと地割れと路面凍結で行く手を阻まれた。

やっと辿り着いた川内村は人っ子一人いなかった。
次の葛尾村も同じく..。不気味だった。


東へ行けば南相馬への道に出る筈だと思い進むが、どの道もバリケードや検問に遮られ、
何度も迂回させられたが、ガソリンが危うくなったので、強引にバリケードを突き破る。
浪江の手前辺りの検問所では「福島ナンバー以外通せません」と制止する警官と押し問答。
最後は「オレは南相馬を救いに来たんだ!」と怒鳴り、通してもらう。

小高の辺りでは多くの家の庭先にワンちゃんが繋がれ、こっちを見ては尻尾を振っていた。
別の機会に通った原浪トンネルは電気が消えていた。


南相馬市に入ると愕然とした光景が目に飛び込んだ。
いわきから南相馬まで、警官と機動隊以外の人に遭わなかったのに、
閉まっているガソリンスタンドの前の道にとんでもない数の車が並んでいる。
閉まっているセブンイレブンにも多くの人が列を作っている。

ここは本当に日本なのか?? それが南相馬の第一印象。
福祉会館の建物に行くと、支援物資の受付をしていた。
倉庫の中の物資は少なかった。
そして、そのままそこで働かせてもらう事に…



続きはまた書くかもしれない、書かないかもしれない。

ただ、ひとつだけ書いておく

「ボランティアって自己満足を得たいだけだよね」と言う声を耳にすることがある。
(まぁ〜自分のことを「ボランティア」だなんて思った事は1度もないけどね..)

自分は満足なんて1度もしたことはない。
いつも後悔と申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「もっと早く来ればよかった」
「当時、立入り禁止だったエリアも捜索すれば良かった」
「戸別訪問をもっと夜遅くまですればよかった」

1年余りが経った今となっては悔やんでも悔やみきれない事ばかり..
その感情が積み重なり、押し潰されそうになることもある。


また、満足感はこれっぽっちも無いが、「報われた」と思う事はたまにある。

川俣や飯館の美しい朝の風景
満天の星空
感謝の言葉
仲間達との素晴らしい時間を共有した時
MJCの子達が自分だけに歌ってくれた時..


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1年目の今日、これから南相馬に行ってくる。
これが最後だ。

2度と来ないと言う事は無いが、これで一旦の区切りとする。

そして、20km圏の北の境界を出発地点とし、東北沿岸部の旅に出る。

2011/12/06

感謝と希望の光



このプロジェクトが発足したのが点灯式の約4週間前、
イルミネーションの足場作りに着手したのが2週間前、
「萱浜イルミネーション/天国へのメッセージ」prj.は12/4の点灯を目指し、
最後の一週間は連日遅くまで、参加メンバーが交代で作業を続けました。

冷たい風が吹き荒む中での電飾の取り付けはちょっと辛かったけど、
みんなで和気あいあいと楽しかったです。


先日の日曜日は最後の仕上げ。
午前中は人が飛ばされそうな強風により、何度か作業を中断。
しかし、午後からは風も収まり、急ピッチで進みました。


そして日が暮れた17時過ぎ、今回のプロジェクトの発起人で、
皆が敬愛するリーダーでもある上野敬幸君が挨拶に立ちました。

「自分は今まで父親にも母親にも『ありがとう』なんて言ったことがありませんでした。
そのことをとても悔やんでます。でも、今日皆さんのお陰で、天国にいる両親にやっと
『ありがとう』と言うことができました。」

途中、言葉を詰まらせながらも素晴らしい挨拶でした。


『みんながわらいあえるところにします』

これは津波で家族、友人らを失った人達が故郷の再生を誓うメッセージです。


そしていよいよ点灯。

みんなで作ったイルミネーションと光のメッセージ。
都会で見るようなお洒落なイルミネーションではないかもしれない..
文字もプロの電飾屋さんが作ればもっと上手くできたことでしょう。

だけど、いろいろなメッセージが含まれた、世界でたったひとつのイルミネーション。
作ったみんなの気持ちが籠ってます。みんなの誇りです。
自分もこのプロジェクトに参加できたことを光栄に思います。


LEDを送って下さった全国の皆様、
製作に関わったメンバーのみんな、
差入れや炊き出しをしてくれた心優しい人達、

ありがとう


萱浜から南相馬市へ、福島県へ、日本へ、世界へ..

ありがとう


2011/11/23

天国へのメッセージ

今月の初め、萱浜を訪れ、萱浜青年団のメンバーに会った時の話..

「今度はここで光のイルミネーションをやろうと思うんです」


津波で壊滅的被害を被った萱浜地区は、ほぼ全ての建物が基礎部分しか残っていません。
生き残った人達は、自宅や近所のお宅の玄関先にお線香やお花をお供えに日々通っています。

その人達の気持ちを込めて、天国のおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、
親戚や友人達、そして最愛の子供たちに向け、
「必ずこの地を再生させます」「見守っていて下さい」
という意味を込めた光のメッセージを掲げます。


早速、即席のプロジェクトチームが作られ、デザインや役割分担を決めました。

前回の花火との大きな違いは、
「今回は寄付等を募らずになるべく自分達の力でやりたいんです」
と言う明確な意思を持っていること。

現在、メンバー8人の内、2人を除き職に就きました。
なるべく借りる。購入するモノは自分たちで買う。
資材の運搬や組み立て、加工は自分たちでやる。

幸いなことにメンバーの中には工事資材に詳しい者や電気工事関係者がいます。
すでに土台は組み上がりつつ有ります。
東北電力と交渉し、期間限定で電気を別けてもらえることになりました。

後は電飾です。
これはかなりの量が必要になり、相応のお金が掛かります。
また電気料金の問題も有り、LEDにしなくてはなりません。

そこでご不要になったLED電飾をお持ちの方、
頂けないでしょうか? またはお借りできないでしょうか?

☆ 色はホワイトかブルーのみ(クリスマスっぽい雰囲気にはしたくないため)
※ 現在、ブルーが多めに集まっていますので、ホワイトですと幸いです
※ 点滅の有無は問いません。
11/27までに、遅くとも12/3までには揃えたいと思っています。


もし、ご支援頂ける方は 下のコメント欄か elan.elise@gmail.com までご連絡下さい。

都内近郊、または南相馬市近郊でしたら私か仲間が取りに伺います。
お送り頂ける場合は、下記の住所まで送って頂けると幸いです。

福島県南相馬市原町区本町1-31 四ツ葉ビル1F
NPO法人フロンティア南相馬
0244-22-3500

こちらは地元の若者達が震災後に立ち上げたNPO団体で、私自身もお世話になっています。
屋外で遊ぶことの出来ない南相馬の子供達を遠足に連れて行く等の活動をしています。
http://www.frontier-minamisoma.org/

※今回の企画では彼らの事務所を備品等の保管に使わせてもらうだけですので、
上記に問合せなどはなさらないようにお願いします。

2011/09/27

鎮魂の138発/希望と再生の物語

2011年8月27日 南相馬市原町区萱浜にて(撮影:藤田修弘)

一ヶ月前の今日、
南相馬市原町区萱浜/雫地区に於いて、鎮魂と慰霊の花火を打ち上げました。

8月27日18時46分 今回の花火の発起人である上野敬幸氏の挨拶の後、
同地区で津波の犠牲になられた方のお名前を読み上げ、そして黙祷。

19時ちょうど、最初の花火が上がりました。
よくある花火大会のような歓声やざわめきは一切ありません。

その場に居た誰もが泣いていたと思います。
自分も最初の一発目から涙が止まりませんでした。
(お名前の読み上げの時から泣いていた方もいらっしゃいました)

花火の数は犠牲になられた方の数と同数の138発。
花火に向かって手を合わせている方が何人もおられました。

半ばと最後にスターマイン(連発花火)が2回。
一つは今回の花火を請け負って下さった糸井加工さん(福島県須賀川市)から寄贈されたものです。
7月末、糸井社長を初めて萱浜にお連れした時に、申し入れて下さいました。
私たちの想いと萱浜の惨状を見て、寄贈を即断して下さったものと思います。

もうひとつ、
当初は予定に無かったのですが、皆様から募ったお金が募集金額を多少超過してしまったため、
追加で上げることにしました。
最初はどれくらいの金額が集まるか不安だったのですが、お陰様で十分な額のお金が集まりました。
資金の提供をして下さった方、並びに資金集めにご協力下さった方々に改めてお礼を申し上げます。


138発の花火が鎮魂と慰霊とすると、こちらは希望と再生のために花火です。


花火の打ち上げ時間は30分にも満たない短いものでした。
しかし、生まれてからこんなにも感動した花火はありません。


最後に..
地元の方が掛けて下さった印象的な言葉を紹介したいと思います。

「3/11以来、初めて泣きました。ありがとうございました。」

2011/09/19

失われた地に誕生した2つの命

9/2 南萱浜青年団の団員さんの元に女の子の赤ちゃんが誕生しました。
名前は芽生(めい)ちゃん

※ 名前の由来やお顔の写真はみりょんちゃんのBlog


さらに9/16、当Blogなどでも紹介しているリーダーの上野家も赤ちゃんを授かりました。
こちらも女の子。体重は2408g。
名前は倖吏生(さりー)ちゃん。
お姉ちゃんとお兄ちゃんの名前を1文字ずつもらっています。


どちらの赤ちゃんも産まれた翌日に逢いに行ったのですが、よく泣いて元気です(^-^)

ふたりが健やかに、正義感の強い子に育ってくれることを切に願います。
そして、彼女達が大きくなった時、お父さん達がどんなに勇敢で、凄いことを成し遂げてきたのかを話してあげたいと思います。


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(何度も書いてますが、)
南相馬市原町区最南の萱浜・雫地区では原発事故の影響で自衛隊による捜索が2ヶ月近くも遅れ、多くの救えられたであろう命を救えず、見つかるべき御遺体も見つけらずにいました。

家族を失い、水も電気もガソリンもない3月の凍えるような寒さ..
そんな絶望的な状況の中で地元の有志(勇士)たちは人命救助、遺体捜索を行い、
その後も瓦礫撤去や側溝の泥出し、真夏の炎天下の下で草刈りなどを行ってきました。


上野家でも311の津波でふたりのお子さんとご両親を亡くされています。
(お父さんと3歳の息子さんは未だに見つかっていません)

以前、残った家の片付けをしている時に見つけたばかりの子供たちの写真を見せてもらいました。
「ねぇー見て見て ウチの子、世界一可愛いでしょ」
写真の中の8歳になるお姉ちゃんは、震災前に産まれてくる赤ちゃんが女の子だと知って、
妹が出来ることを誰よりも楽しみにしていたそうです。


一昨日に聞いた彼の言葉が、今でも胸に突き刺さってます。
「新しい子が産まれて、みんなも祝福してくれて、すごく嬉しいんだけどさ..
一番喜んでくれるべき人(両親と子供達)がいなくて.. 特に一番楽しみにしてたおねえちゃんがいなくて凄く悲しいんだよね..」